花屋に並ぶヒペリカムの朱い実はあまり好みではない。理由は、ただの勝手な好み。望んで買うことはまずない。ヒペリカムには申し訳ない。それにしても実があるからにはその前身の花は一体どんな姿か、と調べたら、なんと、金糸梅だったので驚いた。金糸梅やビョウヤナギの、豊かな雄蕊と鮮やかな黄色の花はとても好みで、もし庭があったら植えたいと思うほどだ。ヒペリカムを少し好きになった。勝手である。
今日、近所の花屋さんでキッチン用の小さな花を求めて立ち寄った。好きな花を選んだら花屋で買ったとは思えないほどのあまりの地味さ。その辺空き地の野草感が過ぎるかなと思ったら、レジ横の桃色のヒペリカムに目が留まったので野草花束に加える。ぷっくりとしたその実は、朱よりその桃色が可愛く似合っていると思う。朱はやめればいいのに。勝手だ。
レジで「ピンクのヒペリカム、かわいいなあ」といいもの見つけた喜びの気持ちをつぶいたら、ボソッと「ああ—、赤とか白いのもありますけどね」と店員さんの返答。そんなこと知ってるし、別に答えてくれなくていい。求めているとしたらその言葉は違う。プラス不機嫌そうな表情。別に機嫌が悪かったのではなくて、そういうお顔の人かもしれない。花を買うときは人は多少なりとも和んだきもちの時が多いだろうから、お花屋さんにはもう少し幸せ顔をしてほしい。これも、客の私の勝手な期待。
朱色とピンクといえば、もう終わってしまったけれど、彼岸花を思う。
時を同じくして田んぼの際を縁取るように咲く彼岸花は、昔から手折って家に持って帰ってはダメなことになっている。火事になるとか、朱の色が血を連想するとか云々。果たしてそんなことはないけれど、おそらくは花の持つアルカロイドが体内に入ったら危険、とか何か人の勝手な理由なんだろう。植物は多かれ少なかれアルカロイドを持ち、不用意に食べたりしたら危ない。食べません。
朱色のは飾ってはダメだけど、ピンクは夏水仙だったり、白や黄色い花はリコリスなんてカタカナで呼ばれて、立派な切り花として花屋に並ぶ。人は勝手だ。